理解されないことの苦しみから解放されるにはどうすればいいのか

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人に理解されないのって辛くないですか? 自分はそう思っていたのですが、そうではないと主張する人もいます。ではその違いや、つらくならないためにはとるべき行動・考え方は何なのでしょうか?

理解されたいという欲求

自分は人に理解されたいという思いがあります。承認欲求のひとつですね。これまでの人生は、きっと周りの人たちに恵まれてきたので、理解されなくて苦しむ機会がほとんどありませんでした。ですが、最近になって「理解してもらいたいのにどうしても理解してくれない人」が現れました。

自分はどちらかといえば友好的に思っていて理解してくれることを期待してたけどそうではなかった、というパターンです。期待をしていたこともあって、ものすごくショックを受けました。

そんな時に昔見たこのツイートを思い出しました。

Togetter にもまとめられていて、コメント欄でも熱い議論がなされてます。

必要以上に他人へ手前勝手な期待をすると疲れるだけですよって事じゃろ

と、ツイートをひとことで言い表したコメントもありました。

「わかってほしい」ってのは人にとって基本的で、そして厄介な欲求のようです。

ひとこと言わせてほしい! って思ったら、それが「私の意見を知ってほしい、わかってほしい」って欲求だよ

という噛み砕いた説明や、逆に「分かってほしい」ことを次のように説明するコメントも。

「他人を自分の望み通りに動かしたい」 こう言い換えると凄くおこがましい行為に見えてくるんだよなぁ…

理解してくれ!と思っていると双方向的に苦しくなってしまいます。ツイートのように欲求がなくせればいいのですが。

この先を読み進める前に。名著『7つの習慣』では「まず理解に徹し、それから理解される」とあります。これから理解されたい話をしますが、先に理解しなさいってことを言っているので、こちらも合わせて読んでおくと良いと思います。

欲求をなくすにはどうすれば良いのか

では、欲求をなくすためにはどのように考えればいいのでしょうか?

なぜ「他人に自分のことを分かってもらいたい」と強く思うのでしょうか?
それを深掘りしてみて下さい。
「あなたが本当に求めているものは何?」
どういう思考に変えるべきかは、それ次第ですが、恐らく「あなたが本当に求めているもの」は他者からの理解とは実は関係なかったりすると思います。

元ツイートの方の返答はこちらです。

「何か求めてるものはあるだろうけど、それは他者から理解してもらわなくても手に入るんじゃない?」ってことだと思います。欲求の解像度をあげれば理解してもらいたいのとは別の欲求であることがわかるということです。

これは相当高度な技術で、言語化するのは誰にでもできるようなことではない気がします。そして欲求をなくすのとは少し方針が違いましたね。

「承認欲求をなくすなんて悟りを開くのと一緒だよね」ってコメントがありました。確かにそうだなって思ったので、悟りっぽいもの関連で一冊紹介しておきます。が、この考え方を身につけるのは至難の業なんじゃないかなと改めて思うわけです。

満たされないことを受け入れる

じゃあ、承認欲求を消すのは常人には無理だとして、承認欲求をもったままで苦しまない方法はあるの? ってことで次のコメントを紹介します。

いやだから、「承認欲求を持つのは良いが、それに基づく行動によって他者から承認される可能性はそれほど高くない」というのを承知しておればどうと言うことは無いのだよ。問題なのは承認欲求そのものではなくて「それが満たされない事」なのだから。
「満たされない欲求を捨てる」のではなくて「欲求が満たされない事を受け入れよ」って事。

欲求が満たされないことを受け入れようという意見。欲求を持つのが悪いのではなくて、満たされないものだからそれが満たされるのを期待するのを止めれば良いってことですね。

満たされないままでも満足する、これもまた難しそうですね。

ここから先はたった今思いついた考えになりますが、欲求をコップで表してみたいと思います。欲求が満たされるとはコップが水で一杯になるということにします。もし、欲求が大きなコップであれば満たされるまでに時間がかかってしまいますし、満たされないかもしれません。

でも同じ容量でも小さいコップが複数あったとしたら? 同じ量の水があったとしたら、いくつかのコップは満たされているかもしれないですよね。満たされているコップが存在していたら、満たされていないものがあっても満足できるかもです。欲求を分割することで「満たされているか/満たされていないか」の感じ方は変わるんじゃないかと思った次第です。どうでしょうか。分散投資とか、依存先は増やしたほうが良いとか、そういったのに通じる話かもしれないですね。

そもそも自分は理解できるのか?

また別の考えとして、そもそも期待しても理解されることはないって考えもありました。

「自分には他人の気持ちを分かってあげられる」というのは驕りを通り越してある種の病気なんじゃないかと思うことがある

「相手が自分のことを理解できる」ってのは「自分も相手を理解できる」ってことですね。果たしてそれは可能でしょうか? 他人を理解するってのは難しいです。そう思うと相手にも理解を求めるのは難しいことが分かります。

話せば理解してもらえるか?

人間関係にサプライズ性を求めすぎると破綻する、みたいな話にも近いかな。どこに行きたいか・何が欲しいかなんてのは、確認してすり合わせてから実行したほうが効率的なのに、そこを度外視した“分かり合ってる関係”なんてものを構築しようとすると、構築までのコストも、それを維持するコストも高すぎて、個人のリソースを余裕で超過するっていう。

自分もいきなり分かり合っている関係は作れないと思っています、なので、自分は話せば分かってもらえると思って言葉を尽くすようにしていましたが、

話をすり合わせるのは努力と言うコストがかかる。当たり前だけど忘れがち。

とあるようにものすごいコストがかかります。そして、この方法で理解してもらうには相手の協力が必要なことがわかりました。これが今回自分にとって壁になったものです。協力を得られる人間になれなかったのです。

「理解してもらうのをあきらめる(相手が理解しない/できないのを前提に対処法を探す)事」(「賛同・同意してもらう」以前の問題)は老人や発達障碍者を相手するには必須のスキル。「話せばわかる」「理解してもらえないのは耐えられない」ってタイプの人は、親と同居・自宅介護しなくていいように準備しとかんとメンタルもたんぞ。(※承服を要求していない、個人の感想です)

と、悩んでいたところにこのコメントを見つけました。「理解されない」を前提とする対処法っていうのはあまり考えられていませんでした。当面はこの方向で考えてみたいと思います。

分かってもらいたいと思うシチュエーション

分かってもらいたいと思うシチュエーションについても考えてみましょう。

壊れるほど愛しても1/3も伝わらない

これは恋の話ですが、分かってもらいたいのは自分が何かしらのダメージを受けているときかもしれませんね。

「人にわかってもらいたいと思う時」っていうのが、ギザギザハートの子守歌じゃないが「そんなに俺が悪いのか」みたいなタイミングの時以外にならないので、わかってもらおうとしない方がいいというのは、自分がアンタを都合よく毀損したいだけだから黙ってろ、と言ってるように感じる程度には内容に諸手をあげての賛同はできない。

強い言い方ではありますが、こちらも同様な意見。

その他に納得したもの

何処かのネット記事の切れ端で読んだ与太なので、ソースにするには力が弱いという前置きをした上で、私は「人間関係のストレスの大半は「不理解」から来てる説」を採用して生きています。それによると「相手に私を分かってほしい」=「わかってもらってない」と「相手のことが私にはわからない」の2つの「不理解」が存在します。
私が仕事で上司からどんなに怒られても、上司の叱咤行動が「ミスの原因を無くすためのもの」だと自明であるもしくはそう感じられるのであればストレスは少ない。でも、(私の気持ちなどは関係なく)ただ上司が怒りたかったとか、トンチンカンな理不尽な怒られ方をするとストレスMAXになる。これは上司の気持ちがわからない、もしくは上司にわかってもらえてないと感じる、そのことがストレスになる。
私は「自分を分かってほしい」は捨てられない欲だと思います。勝手な推測ですが、それは集団を形成することで生き残るのに有利な生命的で根源的な欲だからだと思います。現代人でも原始人でも「1人」では生き残ることが難しくなるでしょう。「相手のことを理解する・相手に自分を理解させる」は集団で生きるには必須の欲です。
このまとめの主題は「そう簡単に捨てられない欲」に対して「捨てる」ことを推奨しています。しかしストレス問題解決の方法としてはやや苦しいものです。対人ストレスから楽になる問題解決法としては、「ストレスの根源を理解する」だけでいいと思います。「理解した気になってる」だけかもしれませんが、なぜ対人ストレスが生じたのかを理解すると問題点の解決方法の一助が得られるようになります。
自分の伝え方が悪かったのか?相手の知能レベルに合わせて会話していたか?もしくは「無視してよい」程度なのか?何か誤解されていないか?などなど、対人ストレスを受けた後のフォロー行動の選択肢を検討するのに役に立つと思います。フォロー行動にも「コスト」はかかりますので、そんなコストをかけるぐらいなら酒飲んで寝て忘れた方がいいという選択もできます。(逆にそれでも心がおさまらなかったら、別の解決法=理解の仕方・させ方を検討する必要がある)

長めのコメントで丁寧に解説してくれています。が、結論は「酒飲んで寝て忘れた方がいい」だったのでクールでした。いいですね。

「分かってほしい」という思いは誰しも持つけど、分かってもらえないこともあるというのは知っていた方がいいのはたしかだよね。でも「分かりたい」と互いに思いやり合うのが社会なのではという気もします

平和な世界です。誰しもこういう考えなら気持ちよく過ごせます(もっと思いやりをもってほしい、というのが自分の分かってもらいたさだったので辛い状況になっていたのですが)

「わかってほしいと思わない」というより「わかってくれないときに相手のせいにしない」というニュアンスのほうが実感に近いな。「相手がもっとこうしてくれればいいのに」と思い始めると相手に怒りが募るし、相手に振り回される。「服が雑巾臭いですよ」と言うと相手のメンツを潰すし相手が改善してくれない時にイライラする原因になるけど、相手のデスクの上にそっとファブリーズを置いておけばお互いに嫌な思いをしなくて済む、みたいな。

デスクの上にファブリーズがおいてあったら嫌な思いをするかも?と思いました。でも、こういう配慮のが良いですね。

補足:自己重要感

『人を動かす』においても「重要感」という言葉が取り上げられていますね。これも承認欲求のひとつだと思いますが、人に動いてもらうには「重要感」を感じさせるのが良いと言っています。

理解されたい人とは逆側の考えになりますが、こうした欲求は誰にでもあり、そして強い欲求なので、それを満たしてあげましょうって話ですね。

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